2008年

ーーー2/5ーーー リピート納入は楽しい

 以前アームチェアCatのクッション座版を納めたお宅から、同じ椅子の注文があった。

 前回は、ご主人が食卓で使う椅子として購入されたとのことだった。しかし、昼間ご主人がお勤めに出ている間に、奥様が座るようになり、そのうち奥様が独り占めをするようになったとのこと。「この椅子に慣れると、他の椅子には座れなくなりました」とは奥様の弁。それで、業を煮やしたご主人が、もう一脚注文することになったという顛末。

 ちなみにこのお宅へ納めたものは、お客様のご希望で、座面の高さを標準より3センチ高くした。また、木部をダークブラウンに着色し、レザーの色もご指定のモスグリーンにした。とてもシックな印象の椅子である。

 ところで、このアームチェアCatのシリーズに関しては、似たような話、つまり「他の椅子に座れなくなった」という話を、複数のお客様から聞いた事がある。それぐらい気に入って貰えるということは、制作者としてまことに嬉しいことである。しかし、その良さが、使ってみなければ分からないというのが、一つのネックではある。上手に宣伝をして、より多くの方にこの椅子の良さに気づいてもらい、購入して頂いて、この椅子を使う幸せを味わってもらいたいものだと思う。 
 
 先日、椅子が出来上がり、納品をした。近い場所だったので、私自身が車に積んで運んだ。

 初めてのお客様の場合は、納品に参上するのに多少の緊張感がある。品物を気に入って貰えるかとか、お支払いの方は問題無いかとか、いろいろ気を使うのである。お客様の方も、ちょっと身構えることが多いようだ。それで、なんとなくギクシャクした感じになる。時には、早く用事を済ませて、おいとましたくなることもある。お客様の家から車で離れると、ホッと安堵することもある。

 今回のように、既にお馴染みとなったお客様の場合は、とても気がラクである。むしろ楽しみなくらい、気分が前を向く。このリラックスした感覚は、初回とは大きな違いである。お客様も、まるで旧友に接するかのように応対して下さる。これというのも、既に納めた家具が、お客様の心をしっかりと掴んでくれたおかげだと思う。作品がお客様と私の間を取り持ってくれているとも言えよう。

 納品の作業が終わり、コーヒーやお菓子を頂きながら、ひとしきり世間話がはずんだ。その後、代金の話となった。私が「前回と同じ金額です」と言うと、ご主人が「それは有り難い。石油価格の影響で、大竹さんの椅子も値上がりしているかと、気になってました」と言われた。なるほど、多少値上がりをしていても、不思議はないご時世である。若干の上乗せを申し出ても、認めて頂けたかも知れない。もっとも、そういうことを小器用にやりとりできるほど、商売上手な私ではないが。

 自宅に戻って、ちょっと考えた。私の椅子を作るのに、どれくらいの石油エネルギーが使われているのだろうかと。

 ごく単純な想定の元に試算をしてみた。アームチェアCatを一脚作るために、工房で消費される電力を、火力発電所の燃料に換算すると、およそ石油0.5リットルとなった。

 私は日々、高校生の娘を最寄りのJRの駅まで送り迎えしている。朝晩一回づつを、ほぼ毎日である。車で一往復するだけで、ガソリンを1リットルほど消費する。そういうことと比べると、木工家具の製作は思いのほか消費するエネルギーが低い。また、鉄製品やプラスチック製品と違って、原料を生産するのにもエネルギーを消費しない。

 もっとも、昔の人は全て人力で作っていたのだから、木工家具を製造するのに石油エネルギーを使わないというのも、当然と言えばそれまでだが。



ーーー2/12ーーー 旧暦のはなし

 先週ラジオを聞いていたら、この2月7日が、旧暦の1月1日だという話があった。それを聞いて、自らの無知の情けなさを実感した出来事を思い出した。

 旧暦は、現在使われている暦よりひと月遅れだと思っていた。つまり、旧暦の3月3日は、新暦の4月3日だというように。 
 
 それが間違いであり、旧暦と新暦にはそのような機械的な関係は無いということを、昨年の中秋の名月の時に初めて知った。54年間、そのことを知らずに過ごして来たことを、恥ずかしいと言っても、もはやどうしようもない。

 昨年の中秋(旧暦8月15日)は、9月25日であった。翌9月26日の新聞には、前夜の「中秋の名月」の写真が掲載されていた。その写真の月は、明らかにまん丸ではなかった。欠け具合からして、月齢13くらいだと感じた。

 なぜ満月でないのに「中秋の名月」として登場したのか、疑問であった。

 そこで少し調べてみたら、旧暦はほぼ月の満ち欠けに準じて決められているが、実際には最大二日ほどのずれが生じることがあると分かった。人間の都合で作っている暦と、自然現象である月の満ち欠けが、それくらいの誤差を含むことは、納得できないことではない。月の満ち欠けの周期は約29.5日だが、旧暦での一ケ月は、29日とか30日とかであり、ピタリと割り切れる関係にはない。

 さて、「月の満ち欠けに準じて」と簡単に言ったが、これはいったいどういうことか。

 月の満ち欠けのサイクルをそのまま一ケ月とする暦を、太陰暦と呼ぶらしい。イスラム圏では今でもそのような暦を使っているとのこと。その太陰暦は、太陽の運行を基準とする太陽暦に対してずれが生じて来る。月の満ち欠けの周期は、太陽が一周する365日を12月で分けた日数とは一致しないからである。

 つまり太陰暦でカレンダーを作ったなら、四季の移り変わりと月の順番には関係が無くなってしまう。分かり易く例えるなら、年の始めの1月が、夏や秋になるという事態が生じてしまう。

 太陽暦に慣れ親しんだ者から見れば、そのような暦は使えない代物であるように感じる。しかし、月の満ち欠けが自然界に及ぼす影響、例えば潮の満ち引きなどを考えれば、暦を月の運行で決めるというのは、あながち不自然なことでもない。我が国でも、漁労関係者などは、普通のカレンダーと併用して、月齢のカレンダーも使うらしい。

 四季の変化がはっきりしない低緯度地方のイスラム圏では、純粋な太陰暦でも差し支えは無いかも知れない。しかし、日本のような地域では、四季の移り変わりに無頓着な暦では具合が悪い。そこで、太陰暦と太陽暦の折衷案のような暦が作られた。それが旧暦である。

 旧暦は基本的に月の満ち欠けのサイクルを一ヶ月とする。しかし、そのままでは季節がずれてしまうので、若干の調整を加えて季節の狂いがないようにしている。

 旧暦では、月始めは新月の日である。月の運行をベースに作られているから、新暦との機械的な関係は無い。ちなみに旧暦1月1日は、新暦で言うと今年は2月7日だが、来年は1月26日である。

 さて、事の発端となった名月の話に戻る。

 中秋の名月のおよそ一ヶ月後、秋も深まった時期に、「クリ名月」を愛でる風習がある。「クリ名月」とは、十五夜ではなく、十三夜の月である。つまり、満月手前の少し欠けた月を愛でるのである。これもなかなか風流なしきたりだと思う。もっともこの季節に限らず、十五夜だけでなく、十三夜の月もセットで愛でるというのは、古来の習わしであったらしい。十五夜の月だけを見るのは「片見月」と言って、忌み嫌われたそうである。

 それはともかく、昨年の中秋の名月のように、月齢十三の月を「十五夜」として愛でるのでは、つまり「クリ名月」のような姿の月を「十五夜」として愛でるのでは、いささか調子が狂う。やはり十五夜はまん丸い「満月」を愛でたいと思う。

 となると、中秋の名月は、旧暦8月15日の晩の月を愛でるべきか、それとも多少日にちはずれても、満月の晩の月を愛でるべきかという問題になる。

 私個人としては、「満月の形」を大事にしたいところだ。しかし、くだんの新聞社がそうであったように、旧暦の日付を優先するということも、かなり一般的なようである。それは、神社などの祭事は日付で執り行なわれるということに由来するらしい。

 今年の中秋は9月14日である。その日の月齢は14.3と予想されているから、これは満月に近いと言えなくもない。昨年のような違和感が生じなければ有り難い。

 およそ半年遅れでこのような話題を述べるのは、季節感が欠如した無粋の極みではある。
 


ーーー2/19ーーー 額縁の大切さ

 
ちょっと以前の話だが、母がある画家から額入りの絵を買ったことがある。サイズは6号、水彩である。

 その絵を客間に飾っておいたら、画家本人が訪ねて来た。そして絵を見るなり、「この部屋は陽の光が明る過ぎて絵に良くない」と言った。紫外線は絵が退色する原因になるとのこと。画家のアドバイスに従って、絵は北側の薄暗い玄関へ移された。

 ある仕事でガラスが必要になり、馴染みにしている松本のガラス店へ買いに行った。雑談のついでに、上に述べた画家の絵の出来事を話した。すると店主は、「それではせっかくの絵がもったいない。UVカットガラスにすれば、問題は無いです」と言った。そして、その絵を額縁ごと持って来れば、調べてみても良いと申し出てくれた。ちなみにこのガラス店は、ガラスを売るかたわら、額縁の注文製作もやっている。看板には、「ガラス店」のわきに「フレーミング工房」とある。

 その後、松本へ出る用事があった。ついでに、例の絵をガラス店で見てもらうことにした。

 店主は絵を額縁から外し、入念にチェックをした。そして、ガラス、マット、裏押さえの厚紙を交換した。手直しをしたことで、その絵はどんなに明るい室内でも傷む心配は無い、と店主は言った。

 店主の説明によると、絵を末永く良い状態で観賞するためには、額縁の役割が重要だそうである。まず第一にガラス。紫外線をほぼ100パーセント防ぐガラスでないと、退色の恐れがある。次に、マットや台紙、あるいは額そのものの素材。これがいい加減なものだと、例えば古紙が使われていたり、酸性の物質が含まれているような素材だと、絵に変色をもたらすとのこと。さらに、絵を台紙に固定するテープの素材や、その使い方にもノウハウがあるそうだ。

 このように、絵を保護する額装の技術に関しては、米国が一番進歩しているとのこと。この店主はそれを勉強して、資格を取っている。ちなみにこの方面では、日本はとても遅れているそうである。

「 画家は絵を描くことには熱心ですが、出来上がった作品の保存に関しては、けっこう無頓着なようです」とは店主の弁。

 せっかく買った絵を、暗い所に飾らねばならないというのは、バカバカしい話である。また、額装に使われている素材によって絵が傷むというようなことは、高額な絵を買い求めた側としては口惜しい。くだんの絵は、画家本人ではなく、画商が額に入れたのだと思う。誰の責任というわけではないが、そういうことに無知であるために被っている損失というものが、世の中にはたくさんあるのかも知れない。

 作家は、作品を作り出すことだけで完結すると思いがちだ。しかし、それでは済まされない場合もある。自分の仕事にも教訓となる出来事であった。

 

ーーー2/26ーーー 戦車と先生

 
自衛隊のイージス艦が漁船と衝突し、漁船の乗員二名が行方不明となった。地元の漁業関係者からは、自衛隊に対する非難の声が噴出している。

 私は、平和憲法のこの国に於いて、腰が抜けるほどの高額な予算を毎年消費している自衛隊の存在に対して、かねてより疑問を抱いていた。しかし、よその国が攻めて来ることを本気で心配している人々にとっては、必要な出費なのかも知れない。

 そんなことを考えているうちに、はるか昔の出来事を思い出した。

 私は小学生の頃、東京都中野区に住んでいた。通っていたのは中野区立塔の山小学校。神田川と環状六号線が交わるところにあった。その当時は、環状六号線ではなく、第六環状線と呼んでいた。なんだかすごく格好の良い名前の道路だと、子供心に感じたことを思い出す。

 その第六環状線を、ある日自衛隊の戦車が行進した。今ではちょっと考えられないことだが、その当時はそういうことが時々あった。

 たまたま休み時間だった。男子生徒は道路に面した廊下に鈴なりになって、戦車を眺めた。六十一式中戦車という名前だったと思う。すごく立派な代物だった。それが何台も連なって進んでいた。キャタピラというものが、グルグル回るというイメージではなく、次々と繰り出される敷物のように見えたのが、印象的だった。

 ワイワイ言いながら戦車を見ていたら、担任のS先生が血相を変えて飛んで来た。そして、ただちに教室へ戻らされた。

 S先生は、新任数年目の若い男性教師で、熱血的な先生だった。先生は教室で激しく怒り、「あんな戦争の道具を、どうして喜んで見るのかっ!」と、大声を上げた。そして「こういうことをする君たちが情けない」と、感極まって泣き出しそうな顔になった。私は先生が何故そんなに怒るのか、よく分からなかったが、先生の凄い剣幕にはひどく驚いた。

 家に帰って、夕食どきに、父親にその話をした。「先生は、戦車一台で小学校のピアノがいくつ買えると思ってるんだ、と言ってました」と私が言った。すると父親は、「たしかにそうだが、外国が攻めて来たときに、ピアノでは戦えないよ」と言った。

   





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